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LV27

 こんばんは。

早速ですが、本日を持って、タイトルの通り今年もまたレベルアップの日になってしまいました。

やってこなくてもいいのに、毎年当たり前のように、冷酷にやってくるレベルアップの日。

「気持ちはまだまだ17とか18よ♡」

なんて、どっかでは思ってるんですが、肉体は確かに年齢を重ねている模様(>_<)。

つい先日、妹の顔(具体的には、頬のあたり)をこっそり触ったんですが、さすがは5歳、6歳違うだけあるのでしょうか、わかりませんが、私の顔の張りと弾力が明らかに低下しているのを感じてややショックだったものです(T_T)。

まあそれはさておき、音楽活動以外のこと(おもに、リアル)に目を向けると、「この先どうなるんだろう」という不安が付きまとうことばかりで、自分への情けなさとふがいなさに押しつぶされて、思わず、「どうせ、私なんて…」などという考えが何度もよぎりそうになったり、

そんなことしても何も始まらないと分かっているのに、とある人たちに対する怒りや憎しみ、酷い時はねたみなどで、「どうしたらこいつらを裏切れるのか?」みたいな、どうしようもない感情やここには書けないようなブラックな感情が湧きあがるのを必死に抑えたり…そんなことばかりで、

今の私は、自分が昔思っていた、想像していたようなLV27の人とは、とても程遠いものがあるように感じてなりません。

むしろ、自分より年下の人たちの方がしっかりしていたり、自分よりもよい仕事っぷりで頑張っている人なんかを見ると、なおのことため息ばかりついて、上にも書いたような感情がふつふつと湧きあがりそうになるわけです。

それでも、一番大荒れだった2012年からの3年間の誕生日時期と比べると、この3~4年の中では今年は一番穏やかに過ごせてるのかなとも思うわけです。←あ、それでも2012年はまだましな方だったかもしれないな。

おそらくですが、昨年の夏ごろから音楽活動に明るい兆しが見え始めていて、その流れが現在も何かしらの形で加速度を増しているというのが大きいかもしれませんし、それが、少しばかりでも穏やかに生活するための糧となり、要因となっているのかもしれません。

…と、こうやって書いてみると、改めて、「自分は、音楽をやっていることで、『生きる助け』とか、『心の支え』になってるんだな」というのを再認識し、
そのうえで、活動を支えてくださる方々や何かしら手を差し伸べてくださる方々、何より応援してくださるすべての方々への感謝の気持ちが自然とわいてきます。

その反面、音楽家Ayakongの立場として、「自分は何のために音楽やってるんだろうか」と、ふと立ち止まることも最近また多くなってきています。

少なくとも、作曲スタイルをDTMに移行してから現在に至るまで、私にとって作曲は、単なる自己満足のためではないとか、単なる趣味では終わらせたくないという思いで取り組んできたと自負しているつもりではありますが、時々、「自分が音楽をやる意味ってなんだろう?そもそも、何のために自分は音楽やってるんだろう?」といった思いに駆られて悩むことも…。

それがあんまり考え過ぎると、「音楽を通して、私はだれかを幸せにできているのだろうか?もしできているのであれば、まだ私にも生きている意味はあるのかもしれないけど、できていないのであれば…」なんて意味もなく落ち込んだりしてしまうのです。

そんなふうに、リアルでも、音楽家Ayakongとしても、自問自答の27歳となっているわけです。

正直、リアルに関しては相変わらずいろんな意味で先が見えず、苦しいのが現状です。

そんな中でも、上にも書いたとおり、音楽活動に明るい兆しが見え始めている以上、これからの1年は、今まで以上に一皮も、二皮も剥けたAyakongというのを目指していきたい所存であります。

それが、更なる明るい兆しにつながっていくと信じて、なんとか前を向いて突き進んでいきます。

最後に、3.11以降、時期がかなり近いためか、誕生日がくるとなんだか複雑な思いに駆られることが、実のところ多くなっていることを付け足して、今日の、27歳一発目の記事を終わりにしたいと思います。

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人の声って面白い

 そんなことを最近、ふと改めて感じることがおおいなとなんとなく実感している…そんな誕生日前日を過ごしております。

特に、音楽やネットラジオなど、主にリアル以外で行ってきた活動の場面において、今年の私は、どうやらそういう傾向のようです。

何日か前のエントリーでさらっと、あくまでさらっとですが、今年に入って、何かと声の素敵な方と新たに知り合うことが多い気がするなといったことを冒頭でつぶやきましたが、そんなことや過去に音楽活動、リアル問わずに知り合った人をいろいろ思いだしたりなんなりしたこともあって、タイトルのようなことをふと改めて思うにいたったのでした。

私の場合、多少の明るさを感じられる程度の視力しかない分、どうしても、「声」で相手がだれかを判断することになるわけで、これまたどうしてもそちらに意識がいってしまうわけです。←リアルで会っている人が空いての場合だと、足音で判断する場合もあったりしますがね。

これは、私を始め、多くの視覚障害のある人(特に、全盲やほぼそれに近い人)に共通していることなんじゃないかなと思うわけです。

かくいう私もその一人で、どこかのプロフの質問にもし、「あなたは、何フェチ?」という質問が載っていたとすれば、かなりの確率で、「声フェチ」と答えてしまう感じです(爆)。

いやあそれにしても、世の中を見渡すと、いろんな声の人がいますけど、それらに共通して言えることは、顔や体つきが人それぞれ違うように、まったく同じ声の人は、一人としていないなということでしょうか。

確かに、「ものすごく似てる声の人」というケースはありましたが、「すべてがまったく同じであった」ということは、私の記憶ではまだ一度もありません。←生きている限り一生ないかもしれないな、これ。

かっこいい声の人や甘い声の人、可愛い声の人や「あれ?声優さん?」と思わせるような声の人、相手に安心感を与えるような声の人や異性と間違えてしまうような声の人などなど、これもう挙げてたら切がなくなってきますのでこれくらいにしますが、人の数だけバリエーションがあるなというのをすごく感じます。

まあ中には、生理的に受け付けなかった声の人もいたわけですが、私の記憶する限り、そういう人は、過去におそらく一人だけだったように思います…と、ちょっぴり毒を吐いてみるw。

第一その方は、人間性という点においても…あ、いやいや、すみません、今のは忘れてください、もうこれ以上毒は吐きませんので勘弁して下さい(こら)。

それはさておき、最近、仕事をしながらも改めて感じるのは、声だけで年齢を判断してはならないなということでしょうか。

数年前、某所で子供のような、今にも声優さんと間違えてしまいそうな声の方と知り合ったんですが、私は最初、それだけで高校卒業したばかりの人だろうと思っていましたが、蓋を開けたら、私より10も上だった(-_-;)という失敗をやらかしかけたことがあり、慣れ慣れしく喋らないで正解だったと後から思ったものです。

また、仕事の場面においても、多くのお年寄りの方と関わる中で、声だけ聴いたら年齢がどれくらいか本当にわからないなと思うケースが後を絶ちません。

ここまでいろいろと書いてきましたが、「じゃあこれだけ散々言ってて、お前自分の声をどう思ってんだよ?」っていう突っ込みがきそうなので、はっきり申し上げます。

私は、自分の声があまり好きではありません(待て)。

そのため、自分の声を編集しなければならなくなった際は、本当に心臓が喉から出てきそうなくらい苦しいのです。←音亀フェスの際に、そういう場面に遭遇することになって、なんど気分が悪くなったことか(-_-;)。

もっといえば、私がBGMを提供させていただいている、それこそお声の素敵な某氏のネットラジオに初めて出演させていただいた際も、それまでは、ネットに声をさらすつもりがまったくもってなかったために、「ネット上に声をさらすなんてとんでもない、ありえない」とずっと思ってきました。

しかし、慣れって恐ろしいもので、その後音楽活動等の傍ら、幾つかのネットラジオ番組に出演する経験を積むことで、すっかり「声をさらすなんてとんでもない」という考えからは、ある程度卒業できていました。

それでも、あまり自分の声が好きでないことには変わりありませんし、今でも素敵な声を持つ人と知り合ったりすると、正直羨ましい気持ちになってしまうものです。

でも、これって「ないものねだりしても、持って産まれたものである以上、仕方のないことだよな」とも思うわけですし、だからこそ、「人の声って面白い」と思えるんだとも考えます。

そんなわけで、本日は、「人の声」について近頃思ったことを、取りとめもなく雑文にしてみました。

では、また。

あの日の記憶 そして今思うこと

 こんばんは、Ayakongです。
珍しく2日続けての更新、でも、これだけはなんとしても今日のうちにアップしたかった内用なので更新します。
東日本大震災から今日で4年…あの日のことは私の中にも鮮明な記憶として残っています。
当時、札幌で寮生活を送っていた私ですが、幸いにも幾度となく頻発する与信や津波に合うことなく過ごしていました。
ところが、自分のことよりも他の周囲の人のことが心配になって行きました。
震災の約1年前に卒業した大学にいる後輩たちや関東圏内に就職した友人たち、ネットなどでつながりのある音楽仲間たちや他の友人はみんな無事だろうか?
地元には津波が来ていて、実家の家族は大丈夫だろうか?
そんな心配の気持ちがよぎっていました。
SNS等を駆使して、私とかかわりのある仲間たちがみんな生きていて無事であったということ、津波で家族が生きていて、避難する事態になっていないことが分かって、ひとまずほっとしていました。
しかし、その後になり、大変な避難生活をせざる得なくなっていた人の話やがれきをかき分けながらなんとか会社にたどり着いた人の話等を見聞きする機会があり、実際の地震の恐ろしさを感じていたものです。
また、この影響で、私の卒業した大学のその年の卒業式が中止になった話を知り、思わず、「もしあの場に私がいたら…」とふと考え込んだりもしました。
それから時が経つにつれ、周囲の人の話やニュースを見聴きすることも多くなっていきました。
それらの中でも、とある先生から授業中に東北を出張で尋ねた際の話を雑談の際に聞く機会があったのですが、その時の
「現地の人の話を聴いたり、地元のラジオを聴いたりして感じたのは、北海道を始め、被災地以外のテレビやラジオの報道が他人事のように感じる。東北に出張に行って強くそう感じた」
という話が非常に印象に残り、その日以来、、13年ほど前に家族旅行で訪れたことのある東北へもう一度足を運んでみたいとの思いが日を追うごとに強くなっており、
毎年この震災関連の報道が多くなる時期になるたび、その思いにいつも駆られています。
13年前の夏、山形と仙台を尋ねましたが、その当時と今とで、特に仙台あたりはどう印象が違うのか、それをいつかは実際に肌身で感じてみたい…もう一度東北へ行きたいというのには、そういう思いもあるのです。
そして、万一それが実現できた暁には、岩手や福島を尋ねられれば…そんな気持ちでおります。
しかし、そんな思いとは裏腹に、最近、震災関連の報道を見ていて、やりきれない気持ちに駆られることも少なくありませんし、同時に、物理的なものばかりではなく、「心の復興」にもっと注目した方が良いのではとも感じてなりません。
被災地の現状を知りたいとの思いから、先日8日の夜に放送されたNHKスペシャルを見ていたのですが、途中で感情が高ぶって辛くなってしまったのです。
具体的には、「4年」というこの時期に来て、主に仮設住宅で生活する被災者の方々の心身の不調を訴える事例が後を絶たないことを知り、それら一つ一つが頭を抱えるものばかりで、正直言葉も出ませんでした。
特に、お年寄りの方々におけるこうした問題が深刻であり、震災前まで元気だった人が杖などの支えなしでは歩けなくなってしまった事例や認知症になる人が急増している事例などが紹介されていました。
現在、私はとあるデイサービス施設に務めておりますが、そうしたお年寄りの方々を見ると、
「運動できなくて、一歩も外に出られなくて困っている人たちみんな、うちへ連れてきたいなあ。満足いくまで運動もできるし、言ってくだされば私が疲れた皆さんのあん摩を提供できるのになあ。そうして、困っている人たちの助けに少しでもなれればいいのになあ」
などと、無理な話と分かっていながらつくづく思ってしまったものです。
その他、紹介されていた事例は、お年寄りのことにとどまらず、家族の絆が壊れてしまうと言った事例もありました。
震災前まではごく普通の円満だった夫婦関係、あるいは家族関係が、震災を理由にけんかが絶えなくなったり、離婚したり、お酒におぼれたりする等の形で、すべてが崩れ去ったという内容がその一つの例です。
また、「いつまで被災者ぶってるんだ」とか、「仮設で生活してるくせに、何えらそうなことを」のような差別的な言葉を投げつけられたり、子供がいじめに合うケースが後を絶たないなど、「まったく、この世の中どうなってしまったんだ」と思うくらい信じられない事例まで、中にはありました。
同時に、そんな信じられない事例を耳にしては、「震災の記憶が風化してきていたり、そんなことなどもはや過去のこと、他人事のように感じている人が出てきているんだということを如実に表しているな」と思わざる得なかったことも確かでした。
以上のようなことから、上にも書いたとおり、今年における3.11の震災関連の報道を見ては、やりきれなくなったり、「心の復興にもっと目を向けるべきではないか」とつくづく感じるのです。
結構、物理的な復興に私たちやメディアは目を向ける風になりがちですが、今こそ、私たちをはじめとするすべての人が被災地に住む人たちやそこに故郷のあったであろう人たちの「心の復興」に目を向けることが大切であると感じている次第です。
そんなわけで、長々と、しかもとりとめなく今年の3.11に対する私自身の思いを書き綴ってみましたが、これをご覧の皆さんは、どんな思いで今日という日を迎えておられるのでしょうか?
きっと、それぞれがそれぞれの思いでこの日を迎えているのではないかと想像します。
とにかく、これからも、あの日を忘れず、今感じている思いを大切に、私は生きていきます。

♪音亀フェス2014コンピレーションアルバム 絶賛発売中!

 こんばんは。3月ですね。
例によって久々の更新になってしまいました。
今年に入ってからというもの、やたらと声の素敵な方に出会う頻度が多くなっている気がする…そんなAyakongです。
おそらくですが、昨年終わりのこちらのエントリーでも触れたAT2005USBを買ったこともあり、早く歌声入りの曲を何らかの形で作ってみろという神のお告げなのでしょうかねえ(知らんがな)。
それはさておき、本日は、前回のエントリーでもお知らせいたしました、音亀フェス2014コンピレーションアルバムについて、再度ご案内させていただきます。
去る2月25日、音亀フェスコンピレーションアルバムの発売が開始されました。
このアルバムは、昨年11月2日より配信開始されましたポッドキャスト、音亀フェス2014にて実際に演奏された楽曲の中から、各参加アーティストたちがえりすぐりにえりすぐった計13曲の音源版を収録したものとなっております。
そして、このコンピレーションアルバムに私Ayakongも参加させていただきました。
そんな私ですが、2010年の発表以来、多くの皆さまから支持をいただいている楽曲、「会いたい気持ち」をピアノ1本でセルフカバーしたものの他、
昨年製作したAyakongとしては異例のロック曲、「ドーパミンボンバー」をHARUさんが疾走感たっぷりにアレンジしたものの計2曲を収録しております。
そのほか、このアルバムでしか聴けない楽曲が勢ぞろい!
13曲、64分の内容で、なんと価格は1050円!!
1曲単位でのご購入も可能となっておりますが、ぜひぜひぜひ!一つのアルバムとしてご購入いただきたく思っております。
本アルバムは、配信限定リリースとなっており、下記の方法でご購入いただけます。
iTunes販売ページ→こちら
AMAZON mp3販売ページ→こちら
その他配信サイトでのご購入については、上記、音亀フェス2014の特設ページよりご覧くださいませ。
なお、発売当日配信、音亀157回の後半にて、今回収録される楽曲それぞれに関するレビューコーナーが設けられておりますので、フェスを振り返りたい方、購入の参考にしたい方、ぜひお聴きになってみてください。
 既に、先月25日の発売開始以来、多くの皆様がご購入いただいているとのこと、参加アーティストである私としても大変うれしい限りであります。
そして、おそらく他のアーティストさんたちも喜んでいると思いますし、主催したHARUさんとフモさんは、もっともー~っと喜んでいるはずです(笑)。
この機会に、ぜひ音亀、ならびに音亀フェスを知っていただけるきっかけとなれば幸いです。
それでは、本日はこの辺で。
プロフィール

Ayakong

Author:Ayakong
 音亀フェス2016コンピレーションアルバム、4月9日より各種ミュージックストアにて絶賛発売中!
「音亀フェス2016 ~passion~」にて演奏された楽曲の中から全12曲を収録。
総収録時間約60分、熱いハートを詰め込んだ1枚、何と価格は1000円!
Ayakongは、カバー曲ながらM9、M10の2曲にかかわっております。
詳細はこちらをチェックしてね(^^)
iTunesで購入する
アマゾン・ミュージックで購入する
google paly musicで購入する
※ その他のミュージックストアでも販売されております。また、ストアによって価格が異なる場合がございます。

 こんにちは。作曲を中心に音楽活動をしておりますDTMER、Ayakongです。
視覚障害があり、普段はスクリーンリーダ(PCの画面を音声でガイドしてくれるソフトの総称)やその環境下で利用できる作曲ソフト、その他シンセサイザーをはじめとするいろんな機材を駆使して製作しています。
もともとは、ピアノを習っていた関係からそちらがメインでしたが、2009年、当時やっていた大学時代のサークルがきっかけでこの道に入りました。
ネットラジオ、暇つぶしラジオにBGMの提供を行ったり、アマナイメージズにて商用販売されている楽曲があったり、録れコン2014(島村楽器主催)にてそこそこの結果を残す等、一応してきましたが、
まだまだやれるというハングリー精神と謙虚さと活動を支えてくださっている皆さんへの感謝の気持ちを忘れずに日々の活動に励んでおります。どうぞよろしく!
なお、このブログは主に、音楽活動のことや雑多な日常をつづっていくものになります。

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